月下草

 貴方を地につなぎ止める、縁(よすが)でありたい。



 目覚めると、端正な顔が思いの外近くにあって驚いた。互いに体を横たえた時には、斎藤さんの背中がこちらに向けられていた筈だから、寝返りを打つ内に姿勢が入れ代わったのだろうか。私の体は、ちょうど彼の懐に抱え込まれるような恰好になって、冷え冷えとした夜気から守られている。
 煤けて傷んだ障子紙を透かして、破れ目から月明かりが差し込んできていた。まだ夜半の頃合いなのだろう。青ざめた燐光に照らされて、瞼を落とした斎藤さんの面差しがひんやりと浮かび上がる。どうかすると、いつも年齢より上に見られる落ちついた人だけれど、その寝顔は歳相応に幼さを残している事を知ったのは、こうして二人きりの時を過ごすようになってからだ。
      
 体は疲れているが、一度覚醒してしまった意識は、中々眠りに落ちていってはくれない。胡乱な時間を持て余しながら、穏やかな寝息を立てる斎藤さんの顔を、私は飽かず眺め続ける。
 綺麗なひと、だと思う。
 洒落者で名を馳せた土方さんや原田さんのように、華やかな大輪の花といった風情がある訳では無いけれど、繊細で整った容貌や凛とした立ち姿が、まるで月下草を見ているみたいに綺麗だ、とむきになって言い募ったのはいつだったか。『一君にそんなに懐くなんて変わってるね、若い女の子なら、普通土方さんとか左之さんに目が向くんじゃないの?』と、酒席で沖田さんにからかわれた時だったかも知れない。杯こそ空けていなかったけれど、濃く漂う酒気に当てらていた私は、それは勢いこんで恥ずかしい主張をしたものだった。斎藤さんは瞠目して、暫く沈黙した後、   そういう譬えは女人にこそ相応しいものだろう、俺に向けて何とする   などと、ひどく呆れたように呟いたのを覚えている。
 あの、華のように鮮やかだった人たちも。意地悪く笑う彼の姿も、今はもうここには無い。その事に痛みはあれど、決して悔いは残していない。私が選んだのは、この綺麗なひとと共にある道行きだ。否、選んだのではなく、私にはきっと、初めからその道しか無かった。他にどんな岐路を示されても、例えその先に安寧な幸福があるとしても、幾度あの日の選択を迫られるとしても   私は間違いなく、この人の隣に在る事を願うのだろう。

 だから。
 今はただ、離れてしまった人たちの幸いを祈り、彼と共にある幸いを噛みしめる。

       どうか。
 最後まで、一緒に。


◆     ◆     ◆



「眠れないのか」
 静かな声と共に、ふわりと髪を撫でられた。面を上げると、いつの間にか開かれた斎藤さんの蒼眼が、私をじっと覗き込んでいる。
 気配に敏い彼の事だ。眠れないまま身じろいだ私の動きで、目を覚ましてしまったのだろう。
「すみません。起こしてしまいましたか」
 頭を下げて詫びる私に、彼は僅かに目元を緩める事で答えた。
「明日も早い。少しでも身を休めておけ」
 そう言って、こちらを見下ろすように首を傾げた彼の肩越しに、ひやりと刃物のような鋭い光が輝いた。
 刹那。
 濡れ羽色の黒髪が、月明かりに透けて銀に散る。青の瞳が、月照を受けてあり得ない彩に染め上げられる。
 まるで、此岸の人ならぬ者の美しさ。
 一夜を白く咲き誇り、跡形も無く散る月下草のそれに譬えた彼の姿は、今、切実な真実味を帯びて体現されていた。
「千鶴?」
 息を飲んで、ぎゅっ、と彼の襟元を掴んだ私を、不審に思ったのだろうか。斎藤さんが私の名を呼んで、正面から視線を合わせてくる。その弾みに、月明かりがもたらした光の錯覚は崩れ去り、いつも通りの深い漆黒を纏った彼がそこに居た。
「……何でも、ありません」
「だが」
「大丈夫、です」
 ややむきになってそう言い張ると、彼は納得しかねる顔をしたまま、それでも私の強情を許容するようにそっと肩を抱き寄せてきた。
 微かな衣擦れを立てて、斎藤さんの腕が深く身の内に私の体を抱え込む。着物を通して伝わってくるその体温が、薄い布団よりもずっと確かに私の身を温めてくれる。
 激戦の続く会津の地で、互いの宿室を同じくするようになったのは、いつの頃からだったか。宿の待遇によっては、満足な布団さえ揃っておらず、こうしてひとつの褥を分け合う事も稀では無い。
 最も、そこに艶めいた理由など何も無い。何時訪れるか分からない敵襲に備えなければならないし、そのような時に悠長に部屋を分けていると、初手から思わぬ後れを取る。これから先、どうなるか状況が見えない以上、手持ちの金子も出来る限り節約せねばならぬ故   と、真摯に説得されただけの事。元より、私に異を唱える気など毛頭無かったけれど、わざわざこちらに諒を求めるところが、生真面目に過ぎる彼の彼らしい所以なのかも知れない。
 私にそれを告げる時の斎藤さんの頬が、微かに赤く染まっていた事が、この胸を仄かに温めてくれていた。
 彼の胸に抱き込まれていた腕を伸ばし、そろそろと背中に回す。細身に見える体は、こうして直に触れると、引き締まった筋肉に覆われていて、固い手触りを伝えてくる。
 いつもは恥ずかしくて、滅多に自分から抱き返したりはしないから、斎藤さんは少し驚いたらしい。彼の体がびくっと揺れて、普段はひやりと冷たい肌の上に、幾ばくかの熱が灯るのが分かった。
「どうした」
「……いえ……」
 曖昧な返事をこぼして、私は彼をしっかりと抱きしめ、腕の中につなぎ止める。
 斎藤さんも、もうそれ以上何も尋ねてこようとはしなかった。夜明けまでの短い時間を、睦言のひとつも無く、まして寝乱れることも無く、私たちはただきつく抱き合ってやり過ごす。



◆     ◆     ◆



       綺麗な人だと思った。
 月に咲く、一夜限りの白い花のような人だと。

 彼の温かな体を腕に閉じ込めながら、私はひとつの誓いを胸に抱く。

 ならば私は、こうして貴方を繋ぎ止める地となろう。
 貴方を咲かす土となろう。
 貴方が斃れそうな時に、その身を支える縁(よすが)となろう   と。

 そうして、いつか避け得ぬ終わりが訪れるその日まで。
 貴方と共にある道を、どうか私に与えて下さい。


Copyright (C) 恋華草 All Rights Reserved.
design by. (C) WebDaisuki.com