刃雨 4

 雨音が聞こえる。
 ひたひたと、
 ひたひたと、
 水にけぶる世界のように、目の前のすべてが胡乱。



◆     ◆     ◆



 唇と唇が触れた瞬間、譬えようもない熱が体中を駆け巡った。固く冷えていた筈の指先も、濡れそぼった黒髪までもが、己が身の内の焔に当てられて、ちりちりと焦がされてゆくようだった。
 腕の中に閉じ込めた華奢な肢体の重みに、男は陶然と酔う。僅かに首を傾け、唇のあわい同士を食むように重ね合わせて、偶然に掠めただけのような浅い接触を、明確にその意図を持った口吻けへと塗り替えた。
   は、……っ……」
 柔らかく、甘い。
 まったき穢れの無い少女の唇を、己のそれが踏み荒らしているのだという実感が、身の傾ぐような目眩を連れてくる。
「んっ……んくっ……、」
 衝動に突き動かされるままに、更にきつく唇を押しつけると、花梨が肩を戦かせて微かな苦鳴を立てた。息苦しさに耐えかねて声を上げたのかと思ったが、良く見ればそれは、紛うことなき拒絶の動作だ。白い指が頼忠の袷を掻きむしり、彼の抱擁から逃れようとして、少女は懸命にか細い腕を突っ張っている   無論、優れた膂力を持つ男の前では、そんな抵抗は何の妨げにもなりはしないが。
「や……っ、離し……て、」
 唇の境界線で、切れ切れの懇願が紡がれる。
 己を守るべき従者にいきなり牙を剥かれ、抱き寄せられた挙げ句に唇を奪われたのだ。花梨が嫌がるのも当たり前だろう。
 頭ではそう理解出来るが、感情は拒む少女の姿に逆立った。
「……あっ!」
 袷を掴む少女の手を取り、ぐいと強く引く。衣を裂く甲高い音と共に、只でさえ緩んでいた合わせ目が乱されて、大きく素肌が覗いたが、今度はもう彼はそれを咎めはしなかった。捕らえた両腕を、強引に自身の首に絡ませてから、頼忠は更に固く少女の背中を抱き寄せる。
 あ、と吐息を零した花梨が、反射的に身を捩った。弾みにつぷりと唇が剥がれ、離れていこうとする彼女の顔を、男はその頤に指をかけて押し止める。
「……なりませぬ」
 たった一言。
 さして厳しくもない口調でそう囁いただけで、少女の身はびくりと凍った。微かな震えこそ続いていたものの、抵う術(すべ)を忘れてしまったかのように、花梨は彼の腕の中でおとなしくなる。
 身勝手な物言いで彼女を責めた頼忠の恨み言を、真に受けて逆らえなくなったのだろうか。或いは、どうあっても力では敵わぬと知って諦めたのか。男の胸に身を委ね、俯いて目を伏せる花梨の姿は、きりきりと身を締めつけるような罪の意識と、それをも凌駕する本能的な興奮を同時に誘った。
「神子殿、いま一度……」
 少女の抵抗が収まったのを見て取ると、その従順な振る舞いを褒めるように髪を撫でてから、頼忠は再び唇を重ねた。
「ん……」
 二度目の接吻は、最初のものよりも水気と熱を孕んでいる。触れ合った箇所から、くちゅりと生々しい水音が立ち、それは口中から直接頭蓋の中に抜けて、頭の内側から思考を悪酔いさせてゆくようだった。
「神子   殿、」
 滴り落ちるものを舌で花梨の唇になすり付け、そのまま中まで割って入ろうとするが、彼女の口許はきっちりと閉じられたまま、侵入を許してはくれない。やはり拒まれているのか   と、暗い考えに心が傾きかけたところで、ふと男は別の可能性に思い至る。
    嗚呼、そうか。
    知らない、のだ。
 舌と舌を絡ませ、互いの唾液を啜り合う露骨な口吻の遣り方を、花梨はまったく知らないのだろう。仮に知識の上では聞き及んでいたとしても、それが自分の身の上に起こるなど   それも、己が従僕である男から無理やりに奪われるなど、夢にも思っていなかったに違いない。
 つ、と僅かに男の口角がつり上がる。知らぬならば、彼がその身に教え込んでやれば良いだけの事だ   浅い戯れのような口吻も、情交の糸掛かりとなる深い口吻も、そのすべてを一つ残らず。
 今まで枕を交わした女に対して、このような考えに至った事は無い。そも、口づけの手管さえ知らぬ初な女を相手にした事など殆ど無いし、例えそうであっても、望むだけの接吻が叶わぬなら、早々に次の手順に移れば良いのだから。
 やはり、今日の自分はどうかしている。いや、本当はずっと前からどうかしていたのかも知れない。花梨の柔らかな唇を、目茶苦茶に貪り食い荒らしたいと願う衝動は、もう随分と長く鬱積していたもののような気がする。
「ふ……ぁ、ん」
 角度を変えて幾度も唇を浅く食みながら、合間にぬるりと指先を押し入れる。太い親指の先端は、唇を容易にこじ開けて、その奥に並ぶ綺麗な歯列に触れた。
 真珠のような歯の表面を、指でなぞる。滑らかな感触の上を二、三度往復すると、頼忠は前歯の噛み合わせに親指を押しつけて、ぐっと強く力を入れた。
「ぅ……っ、」
 花梨の背が小さく反る。それを逆の腕で抱き留め、尚も唇と指で固く閉じた彼女の歯列を責め立てる。
 親指を歯の合わせ目にねじ込みながら、男の舌は許された範囲を縦横無尽に這いずり回る。瑞々しい歯茎を舐め上げ、唇の内側の濡れた粘膜を、舌先で味わうように嬲り立てた。
 やがて。
「ん……ぁ、あ……」
 執拗なまでに、指先で歯列をいたぶる頼忠の意図が知れたのだろう。首の後ろに回った手で、きゅっと小さく彼の衿を掴むと、花梨は苦しげな息を吐き出して、ようようと口を開く。
 漸く示された道は狭いものだったが、頼忠にはそれで十分だった。誘うように開かれた隙間にぬるりと舌を滑り込ませ、中で蠢く熱い襞に己のそれを絡ませる。
「あ……っ!」
 外はまだ嵐が続いており、破れた屋根から漏れた雫が時折頼忠の肩を打つが、その雨音さえももう彼の耳には届かなかった。
 聞こえるのはただ、止めどなく深くなっていく水の音と、荒らげられた互いの呼吸だけ。唇を貪るその咀嚼音が、絶え間なく鼓膜を震わせる。
「神子殿   神子、殿」
「ぁ……う、頼忠さん、やだ……っ!」
 掠れた声で名を呼ばれた瞬間、全身がかっと熱くなった。
 容赦なくずるりと奥まで舌先を差し入れ、花梨の舌を根こそぎ絡め取る。そのまま味蕾同士を擦り合わせ、ぬらつく感触を存分に楽しむ。
「ん……んくっ……やだ、苦し……っ」
 男の乱暴な求めについていけない花梨は、当然のように彼の動きに応えてくる気配を見せない。怯えたように縮こまる舌を、自分のそれでねろりと舐めると、頼忠は歯を立てて柔らかな肉に齧りついた。
「ふぁ……っ!」
 痛みを与えぬほどの甘噛みではあったが、他人に舌を噛まれるというのは、無垢な少女にとって十分以上の刺激になったらしい。一瞬の空隙の後、舌下から大量の唾液がどっと溢れ出してくる。
 口中に満ちる花梨の体液は、まるで白露のようにさらさらとしており、味もとろみも殆ど感じさせない。湧き立ての清水にも似たそれは、頼忠の舌に絡むほどの粘りも無く、掬っても掬ってもその端からこぼれて落ちていく。
    自ら穢れを洗い流す、水濡れた存在   .
 ふとその言葉が頭に蘇って、頼忠はきつく眉を顰めた。
    この接吻は穢れに過ぎぬのか。
    どれほど接吻を与えても、貴女はこうして私の痕を洗い流してしまうのか   .
 苛立ちに突き動かされるように、彼は花梨の頤をぐいと上げさせると、更に角度を深めて唇を塞いだ。
「ん……っ!? んん、ふぁ……っ!」
 驚きに上がった声は、すぐにくぐもった悲鳴へと変わる。
 無理もあるまい。合わさった唇から花梨に流し込まれているのは、男の口中から滴った唾液なのだ。少女のそれよりもずっと濃く、熱く、煮え滾るような温度を持つそれは、口移しで頼忠から花梨の口蓋へと直に注がれる。
「う……うう、ん、んむ……っ、」
 少女の声色には、苦痛と、微かながらの嫌悪が滲んでいる。男の滴りを飲まされるなど、例え意に添った相手であっても、慣れぬうちは受け入れ難いものだろう。嫌がる花梨を哀れには感じたが、離してやる気にはなれなかった。
 くちゅ、じゅる、という下卑た音が二人の唇の狭間で立てられる。無理やり含ませた己の唾液と、花梨のそれを舌先でたっぷりと攪拌してやると、薄かった少女の体液も、男の体熱に馴染んでとろりとした濃度を増していった。
「……苦しいのでしょう?」
 少しだけ口吻を離すと、唇の表面を触れ合わせたまま、頼忠はそう囁きかける。二人分の唾液を口中に溜め込んだ少女は、苦しい涙で瞳を潤ませながら男を見上げてきた。
「そのままでは、喉を塞がれてしまいます。どうか   
 注がれた己が唾液を飲み下すように、と、言外に少女に強要する。花梨は困惑と羞恥に揺れる眼差しをあちこちに彷徨わせていたが、口中のものを吐き出すような真似も出来ず、結局彼の言葉に従う事を余儀なくされたようだった。
「……ん、」
 こくん、と眼下で白い喉が上下する。そのまま、少女は不規則に喉を鳴らして、頼忠に与えられた体液を飲み干していった。
    ぞくり、
 全身が甘い痺れに捕らわれる。この、誰よりも清らかであるべき彼の主が、自身の分泌した滴りを口にしている姿は、恐ろしくも心地の良い酩酊をもたらした。
「ん……はぁ……」
 何とかすべてを胃の腑に流し込み、肩で息をついている少女に顔を寄せると、すっかり濡れそぼってしまった紅い唇に己のそれを触れさせる。二度までは形ばかりの躊躇いを残していたものの、三度目に至ればもはや遠慮は跡形も無い。
「神子殿。貴女からも、頂けますか」
「え?」
 頼忠の告げた意味が分からなかったのだろう。花梨は戸惑ったように顔を起こして、すぐ近くにある男の瞳を見上げてきた。
 つくづく心根の優しい少女だ。いつもは寡黙な源氏の武士が、自らの胸の内を口にする度、真剣に耳を傾けて、力の及ぶ限り応えようとする   このように一方的な辱めを与えられても、それは尚変わる事を知らない。
 少女の頬を撫でて、頼忠は緩く微笑んだ。否   そうしたつもりだったが、翡翠の虹彩に映る自分の面差しは、柔和さなど微塵も無い酷薄な笑みを浮かべていた。
「私も……欲しいのです」
 花梨の睫毛が、ゆっくりと瞬きする。
 雨露と、少女の体液とにまみれた指先で、彼女の唇をぬるりと辿った。そうしてつぷりと指先を割り入れると、漏れた吐息ごと、花梨の口唇を自分のそれで包み込む。
 口付けだけですっかり馴染んだ彼女の体温は、先程よりもはっきりと熱を上げていた。彼の接吻で少女の肉体が火照った事に邪な満足を覚え、しかし、それだけでは足りない   と、身の内の獣が爪を立てて暴れ出す。
「貴女の雫を、下さい   神子殿」
「え……っ、」
 その浅ましい求めに、何かを言いかけた花梨を制して、彼は少女の唇を奪う。探り当てるまでも無く触れた舌に、今度は手加減なしでずぶりと犬歯を突き立てた。
「んく……ぅっ!」
 途端に染み出す新たな唾液。ただの生理的な反応だと分かってはいるが、それでも、頼忠の愛撫に対して素直な反応を返す彼女の肉体が愛しかった。
「は   ぁ、」
 花梨の後頭部に手を回し、しっとりと湿った髪に指を絡めて、逃げられないよう頭を固定する。そのまま、彼は音を立てて口中に溜まった唾液を吸い上げた。
「んーっ! んん……っ、ふぁ……っ!」
 流石に嫌がって花梨が頭を振ろうとするが、頼忠の力に押さえつけられてはどうしようもない。彼の成すがままに、舌を噛まれ、そのたびに溢れ出る唾液をいいように吸われては、一滴残らず奪われてゆく。
 接吻を絡めたまま、頼忠はごくり、と何度も喉を鳴らす。重ね合った唇から、彼が自分の体液を飲み下している事を直接その動きで教えられて、少女は耳朶から首筋までを朱に染め上げた。
 存分に花梨の味を堪能すると、頼忠はぬるりと唇を引き剥がす。二人の口許にかかった銀糸は、粘る連なりを引いて、床へと垂れ落ちていった。
「……ん……は、はぁ……」
「神子殿   
 長い口吻にすっかり力の抜けた少女の体は、彼の舌が自分の首筋に移動した感触で、再び大きく強張った。
 ほっそりとした顎の輪郭から、耳の舌までをじりじりと舐め上げる。時折悪戯にちゅ、と唇を吸いつけ、痣が刻まれぬ程度の痕跡を残すと、自らつけた唾液の道を彼は何度も往復する。
「ひゃう……やめ……っ、」
 喉笛を舐められるのが擽ったいのか、花梨は上擦った声を上げる。享楽の気配はまだ薄いが、普段は聞く事の出来ない甘やかな響きに、男の劣情は否応も無く煽られた。 壁に押しつけていた花梨の体を抱き取り、そのまま身を反転させるようにして、体重をかける。火の傍に干していた自分の着物をかき寄せると、生乾きの熱が籠もった布地を華奢な体の下にねじ込んで、そのまま彼女を床に押し倒した。
 板敷きに敷かれた、男の着物。
    即席の褥。
 その意味が分からぬほど、花梨も鈍い少女では無い。自らを組み敷いて、真上から見下ろす男の胸に手をつくと、懸命に彼を押し退けようとする。
「よ、頼忠さん……待って、待って下さい……っ!」
「……いえ」
 待ちませぬ   と、慇懃だが断固たる拒絶を告げて、頼忠は花梨の上に伸しかかった。く、と肺が潰れるような声を立てて、彼女の眉が苦悶に歪む。殊更に力を入れている訳では無いのだが、これだけ体格差があると、頼忠の重みだけで花梨の自由はほぼ完全に失われる。
「う……うう……っ、」
 身動きの出来ぬまま、彼女は小さくかぶりを振る。強い拒絶を見せたり、泣き叫んだりする様子は無いが、もしかしたらあまりの恐怖に逆らえないだけなのかも知れない。
 怖いのか。   怖いのだろう。
 頼忠にも、自惚れでは無く、花梨から好意を持たれているだろうという程度の自覚はある。だがそれは、春の蕾が咲き初めるような淡い親愛の想いであって、そもそも男女の恋情と呼べるものなのかは分からない。まして、頼忠が花梨に向けるような生々しい情欲が伴っていた筈も無い   そんな意識があれば、二人きりの一つ家で、ああも無邪気に振る舞いはすまい。
 それほどに無垢な少女が、いきなり剥き出しの男の劣情を突きつけられて、怯えない訳が無いのだ。
 分かっている。痛いほど分かっていても、どうしてももう抑えておく事が出来ない。
 禁忌を破る恐ろしさと、そうまでしても全てを手に入れたい情念が、ぎりぎりと心の内で鬩ぎ合い、彼の胸中を締めつける。
 自分を組み敷いたまま、動かなくなった頼忠を気遣うように、恐る恐る花梨が彼の名を呼んだ。

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