刃雨 2

「……嫌いなんですか?」
「は?」
 唐突にそう尋ねられて、頼忠は瞠目した。
 否、それは決して唐突だった訳でも無いのだろう。生木のはぜ割れる音にかき消されて、花梨の口にした枕詞が良く聞き取れなかっただけだ。己の不躾を、内心忸怩たる思いで聞き返してみると、彼女は特に気を悪くした様子も無く、雨、と答えた。
「何故、そのような事を」
「うーん……だって頼忠さん、さっきからずっと眉間に皺寄せてるから」
 つ、と伸びてきた華奢な指が、彼の額を悪戯につつく。水滴を含んだ爪はひやりと冷たく、いつの間にかそこに刻まれた罅をほぐすように、ゆるゆると優しく指先が上下した。
「ほら、やっぱり」
 稚(いとけな)い声で少女は笑う。柔らかく眉間を摩る指の動きは、まるで野兎の毛並みを擽るそれのようだ。以前から分かっていた事ではあるが、彼女は他人に触れる事に対して酷く警戒心が薄い。男と二人きりの雨宿であっても、何のためらいも無くこうして身を擦り寄せて来る。
「降り始めた時から、なんだか難しい顔してましたよ。大丈夫ですか?」
「申し訳ございません。生来の不調法ゆえ、神子殿に不快な思いをさせてしまったのならば   
「もう、そういう意味じゃありませんってば。なんか機嫌悪そうだったから、ちょっと心配だったんです。
 頼忠さんって、よーく見てると、結構考えてる事顔に出てるんですよ。知ってました?」
 花梨の言葉に、頼忠は僅かに息を飲んだ。
 仏頂面だ、表情が読めない、考えている事が分からない   と、畏怖と讒言交じりのそうした評価を受けた事は幾度もあるが、考えが顔に出るなどとと言われた事は、記憶にある限りは一度も無い。幼い頃ならばともかく、今の頼忠は自他共に認める筋金入りの鉄面皮だ。実際、そうでなければ源氏の間者などは務められぬだろう。
「そのような事を仰ったのは、神子殿が初めてです」
「えー、そうかな? 少なくとも、翡翠さんよりかはまだ分かりやすいと思うけどなぁ。 ああいう人の方が、却って考えてること分かりづらいですよ」
 彼(か)の優美な海賊頭の姿を思い浮かべたのか、澄んだ翠玉の焦点が僅かに頼忠から逸れる。
 確かに、肚の内をたやすく読ませない男ではある。雅びな微笑は虚のものとも実のものもとつかず、紡ぐ言葉もまた、何処までが偽でどこまでが真なのか判然としない。飾り立てた戯言の中に、ざっくりとした鋭い刃が仕込まれている事もしばしばだ。その意味では、少女の言う事も然りなのだろうが、他の男と己が身を花梨に引き比べられるのは甚だ不本意でもあった。
      
 口を噤んで押し黙る彼をどう解釈したものか、幼い主は申し訳なさそうに眉尻を下げて俯いた。
「ごめんなさい。わたし、頼忠さんが雨嫌いって知らなくて。
 こんな事なら、紫姫の言うとおり、屋敷でおとなしくしてれば良かったですね。なんか良くない予感がするからって、出掛けに随分引き止められたのに」
 ふっと眉間から指先の感触が遠のいた。それと殆ど同時に、頼忠は一度大きく息を吐いてから、姿勢を正して少女を見つめる。
「……神子殿の御心は、この頼忠が誰よりも良く存じております」
「え?」
「京の穢れを、一刻も早く祓いたかったのでしょう?
 その御心に叶うよう務めるのが、貴方の従者であり、八葉でもある私の責務にございます。貴方が詫びられるような事は何もございません」
 花梨は答えなかった。翠色の双眸が、ただ大きく瞠られただけだった。それに、と一度言葉を切って、頼忠は後を続ける。
「私は別段雨を厭うている訳ではありません。もしそのように見えたのであれば、それは神子殿の御身を雨足に晒してしまった、己の至らなさを恥じて故の事でございましょう」
 申し訳ありません、と深々と面を垂れる大柄な武士に、花梨は慌てたそぶりでぱたぱたとせわしなく手を振った。
「そ、そんな事ないです! 
 ほら、雨がダメな人っているじゃないですか。もしかしたら頼忠さんもそうなんじゃないかなぁって、気になってただけなんです。
 私の友達にも居たんですよ。雨が近づくと、低気圧の所為で頭痛起こしちゃったりとか   あ、低気圧って言っても、こっちじゃ意味通じないか。
 と、とにかく、もし頼忠さんもそうだったりしたら、迷惑かけたなって思って……」
「……いえ」
 頼忠は静かにかぶりを振る。
「今も申し上げた通り、特に雨を嫌っている訳ではありません。と言うより、好むとか厭うと言う考え自体がございませんでした。
 最も、京の民には必要なものゆえ、まったく降らねば困るのは確かでしょうが」
「あ……うん、そうですね。降らないのは、困るなぁ」
 それきり、とつ、と会話が途切れた。
 未だ弱まる事を知らぬ雨足が、板壁を間断なく叩く音が室内を満たす。ひたひたと落ちてくる雨漏りを浴びて火勢が弱まってしまわぬよう、頼忠は剥がした床板を断ち割って、即席の薪を囲炉裏に投げ込んだ。
 新たな木端をくべられた囲炉裏の中で、ぱち、と大きく火が爆ぜる。じっとりと水気を吸った板が、熱にさらされて膨れては内側から弾けていく、その最後の断末魔だ。ひび割れた木片は、細かな火花を散らしながらめらめらと舞う炎の中に飲み込まれていく。
 視線だけで主の様子を伺うと、花梨は膝を抱えたまま、その様をぼんやり眺めているようだった。
 彼女と二人きりになる機会はこれまでにも幾度かあったが、いつも彼らの会話はこうして途切れがちになり、終いには沈黙がとって変わってしまうのだ。頼忠にとって、花梨とただ静かに過ごす時間は決して不快なものでは無かったが、闊達で元気な少女にはさぞ気詰まりな思いをさせている事だろう。
 口下手で、若い娘の好みそうな話題などひとつも知らぬ己の無骨さを、頼忠は心中で僅かに悔やむ。
(このような荒屋(あばらや)に足留めを強いられて、心細い思いをしていらっしゃるのではなかろうか。
 せめて僅かなりと、神子殿の気を紛らわす事が出来れば良いのだが   
 小柄で割った最後の木ぎれを竈に放ると、彼は珍しく自分から花梨に向けて会話の口火を切った。
「強いて言えば、やや苦手ではあるのかも知れません」
「え?」
「雨、です」
 先刻の会話の続きだと言う事を一拍置いて理解した花梨は、円く見開いた目を二、三度瞬きすると、ことんと首を横に傾けた。
「やっぱり、そうなんですか?」
「ええ。地が緩んで足場が悪くなりますゆえ、雨天の日は戦いには不向きであるかと。泥濘に足を取られると、どうしても動きが鈍りますから」
「あー、そういう意味ですか。頼忠さんらしいや」
 くすくすと少女は笑う。
「確かに、雨降ってると怨霊とも戦いにくいですよね。見通しも利かなくなっちゃうし、着物が濡れたら重くて動きづらいもの。
 相手が火属性の怨霊なら、雨でもいいかも知れないけど」
「はい。刀身(はだえ)にも露が下りますので、常とは些か切れ味が変わってしまい   
 そこで頼忠ははっと言葉を切った。主の無聊を紛らわす為に振った話だが、幼く清らかな少女に向けるには、あまりにも情緒に欠け、且つ物騒な話題に過ぎる。人肌の斬り応えの善し悪しなど、彼女でなくとも好んで聞きたがる女人など居ないだろう。
(私は、何を   
 恐々と花梨の顔を伺うが、彼女は別段怖がった様子も無く、あっさりとした調子で頼忠の言葉を肯った。
「刀って、水気と相性悪そうですもんね。ちゃんとお手入れしないと、錆びちゃいそう。
 ステンレスやフッ素加工なんて、まだこの時代には無いもんなぁ」
 うんうん、と花梨は一人納得したように頷く。どうやら、彼の言葉を若干ずれた方向性で理解したらしい。安堵したような気が抜けたような心地で息をつくと、花梨がきょとんとした面持ちで瞬きした。
「頼忠さん?」
「いえ……何でもございません」
「ふぅん?」
 水濡れした髪をかき上げる指先が、やけに白い。まだ血の気が戻っていないのだろう。燃え盛る火の勢いは決して弱くはないが、濡れそぼってしまった二人の体を乾かすには、まだ熱が足りない。
   そう言えばね、わたしの世界に『村雨』っていう刀のお話があるんですよ」
 不意に、花梨がそのような事を切り出した。彼女が突拍子も無い事を言い出すのは今更珍しくもなかったが、花梨の口から『刀』の文句が出た事を奇異に感じて、頼忠は僅かに目を見開く。
 彼女の住まう世界は、帯剣はおろか、ただ刀剣を所有するだけでも厳しい制限と許可が必要だと聞いた。武士という存在も居らず、人が人を殺める事も極めて稀なのだと言う。そのように血腥い戦事とは無縁の場所で育った花梨が、彼も知らぬ刀の銘を口にしたのが、酷く意外だったのだ。
「むらさめ、でございますか?」
「はい。えっと、『村』に『雨』って書くの。こう」
 少女は雨水に浸った指先で、ゆっくりと床板に文字をなぞってみせた。
「繁雨(しばあめ)を意味する文言でございますね。その……刀に与える銘としては、やや風変わりかと存じますが」
「あのね、それにはちゃんと由来があるんです。
 この刀は、刀身がいつも水で濡れていて、人を切っても自分で血を洗い流しちゃう不思議な力があるんだって。
 さっきの頼忠さんのお話で、ちょっと思い出しちゃった」
 『刃に露が下りる』という表現が、水気を帯びる名刀の事を花梨に連想させたのだろう。確かに、そのような加護を受けた刀であれば、『村雨』の銘を授かっても可笑しくはない。
「私も初めて耳にしました。神子殿の世界には、斯様な神気の宿った刀があるのですね」
 お詳しくていらっしゃる   と、半ば本気の賛嘆を込めて告げると、彼女は照れたようにえへへ、と笑った。
「そんなこと無いですよぅ。わたしも、ゲームとか漫画でしか知らないし。
 大体、村雨ってほんとに存在する刀じゃないんです。ただの伝承っていうか、物語に出てくるだけですから」
「げーむ?」
「あ……えっと、うん……ちょっと説明難しいなぁ。自分で動かせる絵巻物って言うか……そんな感じです」
 花梨の説明は良く分からなかったが、彼は重ねて聞き返す事はしなかった。静かに座したまま、少女が後を続けるのを黙って待つ。
「もともとは小説なんだっけ? でも、頼忠さんも知らないって事は、この時代より後だって事だし……あれ、江戸時代あたりだったかなぁ」
      
「確か、里見八犬伝が元ネタだったような……うーん……自信無いなぁ」
 聞き慣れぬ言葉をあれこれと呟きながら、真剣な表情で首を捻る主を、頼忠はやや複雑な心境で見守っていた。
 四、五歳の童でも知る京の常識を、まるで省みぬ奔放な少女ではあるが、それは決して彼女が愚かである事を意味しない。花梨はその一面に於いて、驚くほど博識だ。彼女が取り留めも無く話す事柄の中には、頼忠は勿論、他の八葉も知らない多くの見聞が含まれる。それは、異世界の風習や伝承、或いは外つ国の言語、果ては星の巡りから自然の生態に至るまで多岐に渡り、時にはあの泰継や翡翠でさえ舌を巻くほどだ。
 花梨を神子と認めていなかった最初の頃は、己の出自を偽る為の作り話だろうと思っていたものの、時を重ねるにつれ、そうした疑いも徐々に解けていった。もっとも、花梨自身に言わせれば『わたしの世界では子供でも知ってることだから……わたしなんか、全然詳しくないですよ』という事らしく   そして事実、彼女は精々中高の教科書レベルの話しかしていないのだが   花梨の住んでいた異世界がどれほどこの京と違うのか、その一端が伺い知れようというものだ。
 知識欲旺盛な陰陽師を始め、八葉や紫姫たちは、花梨の話すそうした珍しい物語を良く聞きたがったが、棟梁の命で少女を探っていた折を除けば、頼忠は自分からそれを求めた事は殆ど無い。彼女から話せば黙って耳を傾けるし、それなりに相槌も打つのだが、あえて聞きたいとは思わないのだ。
    何故なら、それは。
「……えっと、要するにお伽話って事です。そんな刀なんて、現実に存在するわけないですもんね」
 胡乱な記憶を引っ張り出すのを諦めたのか、花梨はそう大雑把に結論づけた。少しだけ恥ずかしそうに微笑む少女に、頼忠は表情ひとつ変えぬまま生真面目に応じる。
「左様で   ございますね」
 それはそうだろう。常に白露を帯び、自ら穢れを洗い流す太刀など絵空事もいいところだ。
 どれだけ丁寧に拭っても、決して手入れを怠る事が無くとも、人の血糊はいつしか地鉄に染み込んでゆき、二度と剥がれぬ刃文となる。そうして幾重にも血化粧を重ね、鈍い血曇りを持ってこそ、初めて刃は使い手の掌に馴染むのだから。
    血濡れぬ太刀など、などて太刀と呼べようか。
 頼忠の腰にしっかと掛かる刀の重みが、花梨の言葉をそう嘲(せせ)ら笑う。
(……分かっている。そんな事は、誰に言われずとも)
 かくも二人の住まう世界は異なるのだ。『人の血に汚れる刀』など、花梨にとっては所詮お伽話の中の存在でしか無いからこそ、彼女はそれをあまりにも無邪気に語る事が出来る。

 その穢れなさを愛しいと思う。
 その穢れなさを憎いとも思う。

       だから。
 彼女の紡ぐ故郷の物語など、聞きたくはない。
 どんなに近く寄り添っても、互いはこれほどに遠い存在なのだと、ただ思い知らされるだけなのだから。


◆     ◆     ◆


 埒もない考えに深く沈んでいると、不意に強く小袖を引っ張られた。驚いてそちらを見ると、頼忠の袖に取りついた少女が、こちらを上目遣いに覗き込んでいる。ぺたんと床に膝をついて彼を見上げる姿は、花梨が小柄な事も相まって、まるで人に飼い慣らされた仔兎のようだ。
「神子殿?」
「もう、頼忠さん! 着物、びしょ濡れじゃないですか!」
「着物? ああ……」
 語気も強くそう言われて、頼忠は自分の有り様に初めて気がついた。
 上着は雨中で彼女に貸したまま、今は花梨の水干と並んで床に干されているから、彼が纏っているのは、薄紫の小袖に重ねて魚鱗模様の胸当てだ。濡れた布地は勿論の事、鱗の細かい隙間に入り込んだ露には炎の熱が届き難く、乾かぬ雨染みから冷たい雫がひたひたと滴っている。
「床まで濡れちゃってる……。ごめんなさい、わたしを庇った所為ですよね」
「いえ、それは従者として当然の務めにございます。どうかご案じ下さいませぬよう」
「またそんな事言って……もう、ちゃんと乾かさなきゃダメですっ。頼忠さんこそ風邪引いちゃいますよ」
 ほら、と言って、少女は尚も頼忠の袖を引く。それでも彼が動こうとしないのを見て取ると、彼女はむうっと眉を顰め、頼忠の正面に回って、ぐいっと襟元に手を掛けてきた。
「み、神子殿!」
 無表情を貫いていた頼忠も、これには流石に焦りを覚える。慌てて花梨から身を離そうとするが、襟首は意外としっかり掴まれており、小袖の合わせ目が耳障りな音を立てて乱された。
「やっぱり、中まで濡れちゃってますね。一回脱いで水絞った方がいいですよ」
「……っ……」
 慌てる頼忠とは裏腹に、少女はまったく彼の動揺を気に止める様子はない。世間話でもするような気安さで、男の合わせ目をかき分け、胸当てに触れては、じっとりと濡れた感触を確かめる。
 華奢な指先がすうっと剥き出しの首筋を掠め、その冷たさにぞくりと全身の毛が逆立った。
(全く、この御方は   !)
 肚の中でそう呻きつつ、頼忠は花梨の手を押し止めて、主に不敬にならぬようやんわりと拒否の意を示す。まったく、二人きりの宿で手ずから男の襟を開くなど、どう誤解されても仕方のない振舞いではないか   .
「神子殿   どうか、」
 男の感情に鈍感な少女は、その懇願を頼忠の遠慮と受け取ったらしい。むっと子供っぽく頬を膨らませて、彼女は一層こちらに身を乗り出してきた。
「ああもう、これどうやって外したらいいの?」
 胸を覆う鎧の留め金を探して、花梨の手が彼の着物の上を這い回る。留め具は正面にあるのだが、噛み合わせの固い金具は、少女の力ではとても外せなかったのだろう。花梨は二、三度そこを弄った後、諦めたように手を滑らせ、背中の方へと伸ばしてくる。
「神子、殿   
 ほっそりとした腕が、頼忠の体を抱くように回され、彼の背なに清らかな指がそっと、そっと触れてきて      .

       傷が、ずきりと

   なりませぬ!」
 それは、半ば本能的な拒絶だった。
 勢い良く払われた頼忠の手に体勢を崩されて、花梨の上半身が大きく傾く。均衡を失った体は、ぐらりと揺れて、そのまま赤々と燃え盛る地火炉の方へと崩れかかる。
「きゃ   
「…………っ!!」
 花梨を振り払った時よりも素早く、頼忠の腕が伸びた。殆ど力任せに彼女の体を引き上げて、自分の胸へと抱き寄せる。勢い余って彼女の頭がどん、と鈍く鎖骨にぶつかる音がしたが、それを案ずる余裕も無かった。
 大きく息を吐き出すと、恐る恐る視線を下げて、腕の中の少女を見下ろす。花梨は目を丸くして頼忠を見上げていたが、特に何処かを傷めた様子も無く、ただ純粋に驚いているだけのようだった。それを確認して、漸く全身から力が抜ける。と同時に、主に対してとんでもない暴挙を働いてしまった事に思い至って、彼は酷く取り乱した。
「も……申し訳、ございません! 神子殿、その……」
 うろたえつつも、ようようと謝意の言葉を紡ぐと、頼忠の胸の中で、ううん、と花梨が小さくかぶりを振った。
「わたしこそ、失礼な真似しちゃって。ごめんなさい」
「いえ……私の身を気遣って下さったのでしょう?」
 悲しげに俯く少女を安心させようと、頼忠は微笑を口許に刷いてみせる。戸惑ったようにふるふると揺れる眼差しが、徐々に落ち着きを取り戻していくのを見て取って、彼は花梨の体を抱き上げると、そっと自分の横に座らせた。
 ちょこん、と行儀良く膝を揃える彼女の隣から、頼忠は後ろに身を退ける。そうして、先程まで肩先が触れ合うほどの近さだった二人の間を、主従が本来そうあるべき距離まで引き離した。
    拒絶。
 その意図を今度こそ察して、花梨の表情がはっきりと曇る。
「頼忠、さん?」
 板床に座した頼忠は、深々と頭(こうべ)を垂れて彼女に告げた。
「……この身は穢れております。
 神子殿のお心遣いは有り難く存じますが、どうか、頼忠の事はお捨て置き下さいませ。私に触れては、神子殿の御手にまで穢れが及んでしまいますゆえ」
「なっ……、」
 上擦った声が、少女の喉から零れ落ちた。
 目にせずとも分かる。彼女が今どんな面差しで自分を見つめているのか。男がそう口にする度に、少女は愕然と翠玉の瞳を見開いて、怒りと哀しみの混じった表情を彼に向けてきたのだから。
 そして、今もまた。
「もう、またそういう事言う!
 頼忠さんは穢れてなんかいません。何度言えば分かってくれるんですか   

「いいえ神子殿、」

 きっぱりと。
 主の譴責を途中で遮って、頼忠は言い切った。

    私は、穢れているのです。

 絞り出した声は、自分でも驚くほどに苦しい。
 きっとそれは、雨濡れた古傷がずきずきと疼くゆえに。

 だから、彼女には触れて欲しくなかったのだ。
 きっとあの指先を、拭えぬ血穢で汚してしまうのだろうから。

BACK NEXT

Copyright (C) 恋華草 All Rights Reserved.
design by. (C) WebDaisuki.com